厭 世 日 和

Why I can not become like you...

仕事

実は、つい最近、一週間ほど前に就職したばかりです。
勉強することも多く、なかなかブログを書く時間にありつけないのが現状です。


職業はパチンコ屋です。30過ぎると職なんて選べないもんですけど、
自分で詳しく調べて選んだ会社なので、それなりに真面目に向き合っていくつもりです。
仕事=お金という考え方を捨てたことは大きいメリットになりました。
勿論、今いる会社が給料が安いとか、その分、休みが多いとか、可愛い女の子が多いとか、
そういうわけではないですよ。基本的に人ですね。説明会の段階でその人事の方の人柄を知る取っ掛かりがあれば、それは会社の本音と建て前を見分けることができるんですよね。
俺の場合、水商売やっていたこともあって、相手の目(鼻でもいいんだけど)を見て話す癖が身についたんですけど、これもの凄く大事で、相手の目を真直ぐ見て嘘をつける人って一般的に少ないんですよ。真直ぐな視線で言ったことは信用に値するスタートラインに立てると思うんです。
勿論、これはちょっと・・・みたいなこともそういう感じで上から真剣に言われたら従ってしまうのも人間の心理なので道具・技術としての危険性もあります。


決め手としては、上の役職の方の人間臭い部分を確認し、共感できたことが大きいです。
なんだか単純で打算的ですけれど、上の人が建て前しか言わないと気持ち悪くないですか?
俺は音楽結構好きなんですけど、同じような音楽好きっていう人が居たら、一気に打ち解けますね。
共感の力って凄いと思います。真っ赤な他人と距離が縮まるのを実感してきました。
ちょっと大げさかもしれないけれど会社って宗教みたいな面もあって、その会社を社員の人達が本当に好きなのかっていうことが大事なんですよね。
そりゃもうカルトみたいな人間心理を巧みに利用したブラック企業もあるので要注意です。
自分を物差しにして自分に似た部分がある人がその会社に好きだというのなら・・・
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでも俺は信じてみたくなりましたね。
プラスアルファで業種も大事ですよ?俺は結構パチスロ趣味でしたから。
興味がないと覚えられないことの多さに痛感した20代でした。


今後は仕事の話も交えていこうかな。
パチンコ屋事情に興味がある人にとってはそこそこ面白いかもしれないですね。

レトロフリーク

テレビゲーム全盛期だったころ、少年はゲームフリークだった。

ファミコン、スーファミ、PCエンジン、メガドライブ、ゲームボーイなど所持していた。
学校での人間関係も

「gomiyaん家はゲーム機が沢山あるってさ!」
だけで保っていたと言っても過言ではない。
後にプレステ、サターンなどが出てきて切実に思った。

「アダプタとか配線を切り替えるの面倒くさい。
 全部一つの本体で出来ればいいのに。」

マジでね、実現するとは思わなかったですよ。
11種類のレトロゲーム機に対応、
至高の互換機「レトロフリーク」が予約受付中

http://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/news/news/20150625_708683.html


でもね、もうゲームソフトあまり残ってないのよ。
特にファミコンソフトなんて俺が東京行っている間に母親が処分しちゃって。

今はゲームにのめり込むような熱も時間もない。
無性に懐かしくなって、プレイ動画を見ることはあるけど。
切ない。出会うのが遅すぎたとはこういうことだね。

ちなみに俺のブログのアイコンは
メガドライブソフト「シャイニング・フォース 神々の遺産」
マスコット的キャラ、ヨーグルトくんです。
シャイニングシリーズは俺世代だとセガサターンのⅢまでかな。
普通3枚組とかにするところを、シナリオ1・2・3って別売りしてたっけ。しかも物語は未完。
以降は開発チームが変わってしまって内容も別物になっちまったな。

話は逸れたけど、レトロゲームは30代の青春そのものなんだよね。
今回のレトロフリークの開発者に対して、そんな同じ青春を送った人物像を想い浮かべるね。
リアルに少年の夢を叶えた開発者に敬意を込めて購入予定。

このブログについて

実に5年ぶりにブログという手法に戻ってきたわけです。

なんの手法であるかと言えば

「私、〇〇についてこう思うんですよー。」とか「今日は〇〇してきた」等の報告公開といいますか。
TwitterやFacebook、LINEなどの簡略化されたSNSでのそれが主流だと感じています。
全体公開は控えた上で身内だけでやるなら寧ろその方が手軽で気楽です。

私の場合、mixiやtwitterを経て、身内での交流は本人との直接の対話で十分という結論に達しました。
ではある意味で貴重にも思える顔も知らぬ赤の他人や
あるいは距離的に直接会えない人との文面での交流については?

別に必須ではない。
しかしながら個人的には共感の可能性を追い求めたいし、
現に狭い自身の行動範囲内の世界では、共感できる人には出会いたくとも出会えませんよね。
なのでネット世界での自己開示の放棄とまでは至りませんでした。

身内SNSにおいては本音を書き放題というワケにはいかないので
特定の人々の反応を気にせず、好き勝手に文を打つ欲求を満たしつつ、
読みたい人だけ読めればよいのです。これは中途半端な承認欲からの脱却です。
そもそも、こんな一般人が本や音楽や動画の紹介しても、余程それが気になって検索した人以外辿り着かないので、ある意味で需要と供給の完全一致。知人に押し付けてもしょうがないかなと。
コメントも無くて当たり前、逆にあればとても嬉しい。充足には空腹が一番でございます。


長くなりましたが以上です。